エコリクコラム

2025.6.19
トピック
日本経済の構造転換へ!「改正下請法」が拓くサプライチェーンの未来 〜「構造的な価格転嫁」で中小企業の持続可能性と競争力強化を支援〜
2025年5月16日、日本のサプライチェーンにおける長年の課題解決に向け、大きな一歩が踏み出されました。参議院本会議において、「下請代金支払遅延等防止法及び下請中小企業振興法の一部を改正する法律案」(通称:改正下請法)が可決、成立したのです。政府が3月11日に提出したこの改正案は、発注者・受注者間の対等な関係に基づく価格転嫁と取引の適正化を図ることを目的としています。これにより、急激に高騰する労務費や原材料費、エネルギーコストといった負担をサプライチェーン全体で適切に転嫁する「構造的な価格転嫁」の実現が期待されています。
現在はどのような状況なのでしょう
現在の日本経済は、デフレからの完全脱却と持続的な賃上げの実現が喫緊の課題となっています。しかし、長年のデフレ経済下で培われた「買いたたき」や「一方的な価格据え置き」といった商慣行が根強く残り、特に中小企業は、原材料費やエネルギーコスト、そして人件費の高騰分を取引価格に転嫁できない状況に苦しんできました。これが中小企業の経営を圧迫し、ひいてはサプライチェーン全体の持続可能性を脅かす要因となっていました。
今回の改正は、こうした状況を是正し、発注者と受注者が真に対等な立場で取引を行い、適正な価格形成を通じて、中小企業が持続的に成長できる環境を整備しようとするものです。公正な取引慣行を確立することで、企業の競争力向上、ひいては日本経済全体の生産性向上と強靭化に繋がることが期待されています。
改正の背景と要点
今回の法改正は、中小企業を取り巻く厳しい経済環境と、サプライチェーン全体の健全化への強い要請に応える形で実現しました。
【改正の背景】
- 急激なコスト高騰への対応: 近年の世界情勢や為替変動、需給逼迫などにより、労務費、原材料費、エネルギーコストが急激に上昇。中小企業がその負担を吸収しきれない状況が慢性化していました。
- 構造的な価格転嫁の必要性: 一部の大手企業では価格転嫁が進む一方で、サプライチェーンの末端に位置する中小企業への転嫁が滞り、賃上げの原資確保が困難になる事態が発生していました。サプライチェーン全体での公平な負担分担が喫緊の課題と認識されました。
- 不公正な取引慣行の是正: 親事業者による一方的な代金決定や、中小企業の資金繰りを圧迫する手形払いなどの商慣行が問題視されていました。特に、物流業界における運送委託では、長時間労働や不当な荷役・荷待ちといった課題が顕在化していました。
- 「下請」という用語の印象: 「下請」という用語が発注者と受注者の上下関係を想起させ、対等な交渉を阻害するとの指摘があり、用語の見直しが求められていました。
【改正の要点】
今回の改正下請法には、以下の重要な変更点が盛り込まれています。
- 協議を適切に行わない代金額の決定の禁止(価格据え置き取引への対応):
- 対象取引において、受注者から価格協議の求めがあったにもかかわらず、親事業者が協議に応じない、または必要な説明や情報提供を行わないことにより、一方的に代金を決定して中小受託事業者の利益を不当に害する行為が禁止されます。これは、従来の「買いたたき」規制をより明確化・強化するものです。
- 手形払等の禁止:
- 対象取引において、原則として手形払いが禁止されます。
- 電子記録債権やファクタリングなど、その他の支払手段についても、支払期日までに代金相当額を全額現金で受け取ることが困難なものは禁止されます。これにより、中小企業の資金繰り負担の軽減が図られます。
- 運送委託の対象取引への追加(物流問題への対応):
- 製造や販売等の目的物の引渡しに必要な運送の委託が、新たに下請法の対象取引に追加されます。これにより、運送事業者に対する不当な取引慣行(不当な運賃据え置き、不必要な荷役作業の強制など)の是正が期待され、物流業界の「2024年問題」にも対応します。
- 従業員基準の追加(適用基準の拡充):
- 従来の資本金基準に加え、新たに「従業員数」を基準とする区分が新設されます(製造委託は従業員300人超と300人以下、役務提供委託等は100人超と100人以下など)。これにより、実態として中小企業に該当するにもかかわらず、資本金基準で下請法の適用外となっていた事業者が保護の対象となります。
- 「下請」等の用語の見直し:
- 「親事業者」は「委託事業者」に、「下請事業者」は「中小受託事業者」に、「下請代金」は「製造委託等代金」などに変更されます。法律の題名も「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」に改められます。これにより、発注者・受注者間の対等な関係が促進されることが期待されます。
- 面的執行の強化:
- 関係行政機関による指導・助言規定や、相互情報提供に係る規定が新設され、政府一体となって法執行を強化する体制が整備されます。
- 振興施策の充実:
- 下請中小企業振興法においては、国と地方公共団体の連携強化や、主務大臣によるより具体的な改善指導などが追加され、中小企業の振興に向けた取り組みが拡充されます。
サステナブルサプライチェーンとは
今回の法改正が目指す「構造的な価格転嫁」は、単なるコストの問題に留まらず、企業の持続可能性、ひいては「サステナブルサプライチェーン」の実現に深く関わります。
サステナブルサプライチェーンとは、原材料の調達から製造、流通、販売、消費、そして廃棄に至るまでの一連の供給網において、環境的・社会的・経済的側面の持続可能性を考慮し、最適化されたサプライチェーンを指します。具体的には、以下の3つの要素が重要視されます。
- 環境的持続可能性:
- CO2排出量の削減、再生可能エネルギーの利用、水資源の保全、廃棄物の最小化、環境負荷の低い素材の使用など、地球環境への影響を軽減する取り組み。
- 社会的持続可能性:
- サプライチェーン全体における人権尊重(児童労働・強制労働の排除)、適切な労働条件の確保(安全衛生、適正賃金)、多様性の尊重、地域社会への貢献など、倫理的かつ公正な事業活動。
- 経済的持続可能性:
- 長期的に安定した収益を確保しつつ、サプライチェーン内の全ての企業(特に中小企業)が適正な利益を得られるような取引関係の構築。価格転嫁の適正化もこれに含まれます。
サステナブルサプライチェーンの構築は、企業のレピュテーションリスク低減、投資家からの評価向上、消費者からの信頼獲得に繋がり、長期的な企業価値向上に不可欠な経営戦略となっています。
現状と課題について
今回の法改正は、価格転嫁を巡る状況を改善する大きな契機となる一方で、その実効性の確保には引き続き課題が残されています。
現状:
- 価格転嫁率の改善傾向: 中小企業庁の調査によれば、コスト増加分を価格転嫁できた企業の割合は増加傾向にあり、発注側からの交渉申し入れも浸透しつつあります。
- 二極化の進行: しかし一方で、全く価格転嫁できなかった、あるいは減額された企業も依然として約2割存在し、「転嫁できる企業」と「できない企業」の間で二極化が進んでいます。
- サプライチェーン深層部での課題: 特に4次請け以上のサプライチェーン深層部では、全額転嫁できた企業の割合が1割程度に留まり、約4割の企業が全く転嫁できなかった、または減額されたと回答しており、価格転達の浸透が不十分です。
- 労務費転嫁の難しさ: 原材料費に比べて、労務費の価格転嫁は企業の理解が得られにくい傾向にあります。
課題:
- 「構造的価格転嫁」の定着: 改正法の施行後も、実際にサプライチェーン全体で適正な価格転嫁が定着するかどうかが最大の課題です。発注側の意識改革と、中小受託事業者側からの積極的な交渉が不可欠です。
- 法の周知と執行の徹底: 改正法の内容を全ての事業者に周知徹底し、公正取引委員会や中小企業庁、その他の関係行政機関による監視・指導・助言といった執行を強化することが求められます。
- 中小企業の交渉力強化: 中小受託事業者自身が、労務費や原材料費のコスト上昇分を適切に算出し、合理的な根拠をもって価格交渉に臨むための支援(専門家派遣、ガイドライン提供など)が必要です。
- 業界固有の慣行への対応: 医療や介護、建設など、業界特有の価格決定メカニズムを持つ分野では、今回の改正法だけでなく、各業界の特性に応じた追加的な対策や対話が求められます。
- サプライチェーン全体のエンゲージメント: 価格転嫁だけでなく、環境負荷低減や人権尊重といったサステナビリティ課題についても、サプライチェーン内の全関係者が共通認識を持ち、協働して取り組むためのエンゲージメント強化が重要です。
今回の改正下請法は、日本の長年の商慣行にメスを入れ、サプライチェーン全体での公平な利益分配と持続可能な成長を目指す画期的な一歩です。特に、一方的な価格決定の禁止や手形払いの制限、運送委託の対象追加、用語の見直しは、中小企業の経営安定化と健全な取引関係の構築に大きく寄与するでしょう。
しかし、法改正はあくまで第一歩に過ぎません。この法律が真に機能し、「構造的な価格転嫁」がサプライチェーンのすみずみまで浸透するためには、事業者間の意識改革、行政による監視・指導の徹底、そして中小企業自身が交渉力を高めるための努力が不可欠です。
公正な価格転嫁の実現は、中小企業の賃上げを可能にし、消費者の購買力向上にも繋がり、日本経済の好循環を生み出す原動力となります。同時に、サプライチェーン全体の透明性とレジリエンス(強靭性)を高めることで、気候変動や人権問題といったグローバルなサステナビリティ課題への対応力も強化されるでしょう。改正下請法が、日本の持続可能な社会と経済の実現に向けた大きな礎となることを期待します
執筆者
- tag: