エコリクコラム

2025.7.2
トピック
海洋生物多様性の未来を守る新ルール:環境省「公海等環境影響評価ガイドライン」が示す日本の挑戦〜広大な公海での活動に「環境アセス」義務付け、透明性と国際協力を推進〜
地球の表面積の約半分を占める広大な公海。ここには、いまだ多くの謎に包まれた、かけがえのない生物多様性が息づいています。しかし、深海底探査、漁業、新たな資源開発といった人類の活動が活発化するにつれ、これらの貴重な生態系への影響が懸念されてきました。
このような背景の中、2025年6月10日、環境省は、国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)第4部に基づく国内実施指針として「公海等における環境影響評価の実施に関するガイドライン」を公表しました。国際連合海洋法条約に基づき、日本が公海や深海底で実施する活動において環境影響評価(EIA)を適切かつ円滑に実施することを目的としています。本指針は、対象活動の調査・予測・評価、公表手続き、監視・報告方法などを定め、海洋生物多様性の保全と持続的利用に資するものとなる画期的な一歩です。
公海等における環境影響評価の実施に関するガイドラインとは
このガイドラインは、日本の関係者が公海や深海底などの「国家管轄権外区域」(ABNJ: Areas Beyond National Jurisdiction)で活動を行う際に、その活動が海洋環境にどのような影響を与えるかを事前に評価し、適切に管理するための具体的な手順と要件を定めたものです。
具体的には、以下の主要なステップと原則が明示されています。
- ■ 選別手順(スクリーニング):
- ガイドラインはまず、許可が必要な行為(例:深海底鉱物資源探査、海洋科学調査、海底ケーブル敷設など)について、環境影響評価(EIA)の実施の要否を判断する「選別手順」を定義しています。
- 関係省庁間の協議プロセスや、事業者が提出すべき活動概要、潜在影響の初期分析(スクリーニングレポート)などが明確に記載されています。
- この初期分析を公海条約に基づくクリアリングハウス機構(BBNJ協定で設置される情報共有の場)に登録し、他国との情報交換や意見提出を促す枠組みも設けられています。これにより、国際的な透明性と協調性が確保されます。
- ■ 範囲選定(スコッピング)と評価の実施:
- EIAが必要と判断された場合、実際に評価する内容や調査方法を確定する「範囲選定(スコッピング)」から、環境影響評価報告書の作成・検証、公表、事後の監視・報告までの一連の手順が明示されています。
- 各段階での資料提出の要件、報告書の英語翻訳の必要性、公表先、国内外からの意見の扱いなども詳細に規定され、事業者と行政の両方にとって透明性を重視した構造が導入されています。
- ■ 国境を越える影響への対応:
- さらに、我が国の排他的経済水域(EEZ)内での活動が公海に影響を及ぼす場合、またはその逆の場合には、その情報を当該沿岸国に通知し、協議を通じて環境保全に配慮した対応を取るよう義務づけています。これは、国際的な信頼強化と適正な対応のための重要な要素として位置付けられます。
本ガイドラインは、2025年6月10日に施行され、公海等の活動評価に関する国内ルール整備の一環として、条約への国内対応を法的・実務的に裏付けるものです。
ガイドラインの背景について
今回のガイドライン策定の背景には、国際社会が長年取り組んできた「公海における生物多様性保全」という大きな潮流があります。
- ■ 「公海」とは:
- 公海とは、いずれの国の排他的経済水域(EEZ)にも属さない、すべての国に開かれた海洋区域を指します。地球の海洋の約3分の2を占め、多様な海洋生物の生息地であり、生態系サービスを提供する重要な場所です。
- しかし、その広大さゆえに、特定の国の管轄が及ばず、適切な管理体制が不足していました。
- ■ 国連海洋法条約(UNCLOS)の精神:
- 1982年に採択された国連海洋法条約(UNCLOS)は、「海の憲法」とも呼ばれ、海洋に関する包括的な法的枠組みを提供しています。この条約では、公海の自由利用が認められる一方で、各国は海洋環境を保護・保全する義務も負うことが定められています。
- しかし、条約採択当時は想定されなかった新たな海洋活動(例:深海底鉱物資源開発、大規模な海洋科学調査など)の増加に伴い、公海における生物多様性保全と持続可能な利用のための具体的な国際的ルールの必要性が高まりました。
- ■ BBNJ協定の誕生:
- これらの課題に対応するため、2004年から国連で議論が始まり、2023年3月に「国家管轄権外区域の生物多様性の保全及び持続可能な利用に関する協定」(BBNJ協定)が採択されました。この協定は、UNCLOSの下位協定として、公海における海洋保護区の設定、海洋遺伝資源の利用、能力構築・技術移転に加え、環境影響評価(EIA)の枠組みを主要な柱としています。
- 日本はこのBBNJ協定の策定プロセスに積極的に参加し、協定の早期発効と国内での実施体制整備に力を入れてきました。今回のガイドラインは、このBBNJ協定のEIAに関する規定を国内で円滑に実施するための第一歩となります。
- ■ 「責任ある海洋国家」としての日本の立場:
- 日本は四方を海に囲まれ、海洋資源への依存度が高い海洋国家です。また、海洋科学技術においても世界をリードする立場にあります。そのため、公海の生物多様性保全に積極的に貢献することは、国際社会における日本の責任であり、国益にも繋がります。
パブコメのまとめから見る今後の方向性
環境省は、今回のガイドライン策定に先立ち、パブリックコメント(国民からの意見募集)を実施しており、その結果は今後の運用や改定の方向性を示唆しています。
- ■ 寄せられた意見の傾向:
- パブリックコメントでは、主にガイドラインの具体性、透明性、国際協力の強化、そして科学的根拠に基づく評価の重要性に関する意見が寄せられました。
- 事業者からは、評価手続きの明確化や、他国のEIA事例との整合性に関する質問が、市民団体からは、海洋環境保護の視点からのより厳格な運用を求める声が上がりました。
- ■ 環境省の対応と今後の方向性:
- 環境省は、寄せられた意見を踏まえ、ガイドラインの記述をより明確にし、Q&A形式で補足資料を提供することで、実務的な理解を深める努力をしています。
- 特に、国際的な情報共有のメカニズムや、他国との協力体制の重要性については、パブコメでも強調されており、今後もクリアリングハウス機構を通じた情報交換や、関係国との協議プロセスを積極的に活用していく方針が示されています。
- ガイドラインには「定期的な見直しによる科学的知見や条約発展への対応」が明記されています。これは、海洋科学の進展や、BBNJ協定自体の発効と運用状況、さらには地球規模での気候変動の影響なども考慮しながら、ガイドラインが常に最新の状況に即して進化していくことを意味します
- また、本ガイドラインはBBNJ協定の発効を見越した国内措置であり、協定が発効されれば、法的拘束力を持つルールとしてその重要性がさらに増します。今後は、協定の正式な批准と国内法の整備も進められるでしょう。
環境省が発表した「公海等における環境影響評価の実施に関するガイドライン」は、単なる国内ルールに留まらず、広大な公海の生物多様性を未来世代に引き継ぐための日本の強い意志を示すものです。このガイドラインは、国連海洋法条約の精神とBBNJ協定の具体化を促し、国際社会全体で海洋環境保全に取り組むための重要な一歩となります。
企業や研究機関が公海で活動を行う際には、このガイドラインに基づいた厳格な環境影響評価が求められ、透明性の高い情報開示と国際協力が不可欠となるでしょう。これは、環境に配慮した持続可能な海洋活動を推進し、国際的な信頼を確立する機会でもあります。
今後も、科学的知見の蓄積と国際的な議論を通じて、このガイドラインがより実効性のあるものへと発展し、地球規模での海洋環境保全に貢献していくことが期待されます。